むかしむかし、いまから二十年ほど前のことじゃ。
まだスマホもSNSもなかったころ、インターネットは、
重たいパソコンとコードでできた不器用な世界だった。
その時代、ケンジという青年がおった。
ケンジは、夜ごとパソコンに向かい、ひとり黙々とタグを打っていた。
「<html>」「<body>」「<a href>」
たったひとつの色を変えるにも、何度も書きなおし、
見えない誰かに届くよう、ひとつひとつの言葉に想いを込めた。
ページを完成させるのに、何日もかかった。
でもケンジは、そうしてやっと伝えられる「本当のこと」があると知っていた。
彼はこう言っていた。
「表現とは、自分をそのまま見せることじゃない。
むしろ、“自分をいったん殺して”、そこから何かを生み出す作業なんだ。」
時が流れ、世の中は変わった。
スマートフォンが生まれ、誰もが“簡単に”“すぐに”“自分”を出せるようになった。
そして、ショウタという男があらわれた。
ショウタは、手の中の画面に向かって、
毎日ひとことずつ、声を放っていた。
「オレって最高」「#今日のオレを見て」
「#自分らしく」「#イイネよろしく」
拍手のような数字が増えるたびに、心は膨らみ、
消えるたびに、また別の自分を上書きした。
けれど、夜になるとどこか虚しく、
誰かに見てもらえているはずなのに、
どこにも“本当の自分”がいないような気がしていた。
ある日、彼は偶然、古い図書館でケンジと出会う。
ケンジはその日も、古いノートパソコンでページを手打ちしていた。
白地に黒の文字。静かなコードの世界。
誰の目を引くでもない、けれど確かに心に沁みる言葉たち。
ショウタは思わず言った。
「なんで、そんなに面倒なやり方で、自分を出すんですか?」
ケンジは静かに答えた。
「面倒だからこそ、自分の本心が浮かびあがるんだよ。
人に伝えるってのは、“今の自分”じゃなくて、“伝えるために削った自分”でなきゃ、届かないこともある。」
ショウタは、そのときはじめて自分の投稿を振り返った。
誰かに届けたくて書いたものは、一体どれだけあっただろう?
ただ「見てくれ」「ほめてくれ」と、
自分を押し出すことばかりに夢中になっていた。
「オレは、自分を叫ぶことが表現だと思ってた。
でもほんとは、“静かに自分をおさえて誰かを思う”ことが、いちばん伝わるんですね……」
その言葉に、ケンジはゆっくりうなずいた。
ショウタはスマホをしまい、ノートを開き、
はじめて「だれかの気持ちを考えながら」言葉を書いた。
それは自分が主役じゃない言葉。
でも、じんわりとあたたかく、人の心に残るものだった。
時代は変わり、技術は進む。
けれど、変わらないものもある。
表現とは、自分の中の“いちばん弱いもの”や“いちばん奥にある想い”を、
そっと差し出すような行為。
謙虚さを知らねば、生まれぬものなのじゃ。
おしまい。